小さい子どもから高齢者まで世代に関係なく愛される煎餅。今では気軽に誰でも食べることができる煎餅ですが、平安時代の煎餅は貴重なお菓子であり、上流階級の人が食べるものでした。一体、当時の煎餅はどのようなお菓子だったのでしょうか?
煎餅は高級食品だった?
煎餅の発祥は今から2200年ほど前の中国です。当時は日常的に食べられていたものではなく、宮廷内の祝い事の膳に加えられているものでした。他にも硬いお餅(あられの原型となったもの)を食べて、健康と長寿を祈る儀式もあったといわれています。
日本に煎餅が伝わったのは今から1000年以上前の奈良時代から平安時代ごろまでさかのぼります。日本に伝えらえた経緯については諸説ありますが、最も有力なのは弘法大師こと空海によって輸入されたという説です。
煎餅のおいしさに感動した空海
空海は遣唐使と共に中国へ渡り、仏教の教えを日本に伝えた人物です。とある日彼は中国の宮中の皇帝から食事に招かれました。そこでふるまわれた煎餅のおいしさに感動したそうです。
空海は宮中の料理人から煎餅のレシピを請い、直伝の味を学び日本に持ち帰りました。彼が唐から帰国したのは西暦804年。空海は帰国早々、京都にある和菓子屋の和三郎という人物に煎餅のレシピを伝授し作らせました。当時の日本では煎餅とは呼ばれておらず、「唐菓子」と呼ばれていたようです。
平安時代の菓子とは?
平安時代の「菓子」は「唐菓子」だけではありません。元々は梨、干し柿、ミカン、栗、クルミなどといった果物やナッツのことを指していました。のちに煎餅が加工菓子として菓子に加えられるようになりました。
私たちが食べている煎餅は主にうるち米から作られていますが、煎餅が伝わった当初の原料は米ではなく小麦粉と水で、それを混ぜ合わせて練って作られていました。
味付けは水あめ、蜜などの甘味のほか塩味がありました。練った小麦を色々な形に作りかえ胡麻油で揚げたようです。また、煎餅は貴族に好まれていた菓子という役割のみならず、祭神用の供え物としても重宝されていたそうです。
日本で1000年以上愛される煎餅
煎餅は1000年以上前に伝わり、長い歴史を超えて多くの人々に愛されてきました。現代に生きる私たちになじみのある煎餅は米から作られていますが、平安時代は小麦で作るのが主流でした。
1000年以上の時を経て豊かなバリエーションとなり愛され続ける煎餅。歴史の流れに淘汰をされることなく今もなお残り続ける煎餅は、日本を代表する国民的お菓子といっても過言ではありません。
【参考文献】
「恵那川上屋」
「金吾堂」