「密教はわかりにくい!」と思うかもしれません。おそらく現代人だけでなく、密教を前にした平安時代の人々も、最初は同じ思いだったのではないでしょうか。しかし、そんな人々の「わからない」に「難しく考えないで、仏の世界も人の世界も同じだよ」と、立体曼荼羅(羯磨曼荼羅)として仏の世界を具現化させたのが空海です。
空海が作り出したこの立体曼荼羅は、東寺・講堂に収められた21躯の仏像群のこと。
曼荼羅といえば通常は一枚の絵図ですが、立体曼荼羅は元となる2Dの経典や曼荼羅図を、さらに3D化したものです。人々の目の前に仏像を配置することで仏像との距離を物理的に縮め、仏の世界をこの身このままで体感できる装置を作り出したのです。
仏を通して認識を変える
まず、この装置を知るために、21躯のうち2躯の仏像を取り上げてみましょう。
「帝釈天騎象像」にみる水平の世界
帝釈天像は平安時代以前から見られる仏像でした。しかし、もとはインドの神である帝釈天が、インドに生息する象に坐している姿で表現されることは前時代にはなかったことです。
空海は、当時日本に生息していなかった異国の動物を台座に用いることで、人々に日本の外の広い世界、同じ時代を生きるものを認識させようとしたのです。
「持国天立像」にみる時の流れ
空海は立体曼荼羅の仏たちを、
「整然と森の木のように並び、赤や青さまざまな彩色で輝いている」
東京国立博物館・編『特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅』「第四章 曼荼羅の世界」/読売新聞社より
と述べています。持国天立像はヒノキの一材から彫り出され、像高183cmと他の仏像と比べて一回り背の高い仏像です。
この仏像を前にした人は、確かに森の木を見上げるような格好になります。人よりも遥かに長い時を生きる木から彫られた仏は、人とは違う時の流れを感じさせます。しかし同時に、仏も木のように身近なもの、いつの時代にも変わらず傍にあるものという印象をも人に与えるのです。
立体曼荼羅の目的
空海は曼荼羅を立体で表現することで、同時代の水平な世界(地理)と長い時の流れ(歴史)を見る人に認識させました。そして「今、自分はどこにあり、どの時代を生きているのか」を、ミクロではなくマクロに視点を切り替え、俯瞰的に自身を見つめるよう促したのです。
少し視点を変えることで、仏も人も広い世界を構成する一部であり、時の流れによって姿かたちが変わっていくさまも同じなのだと気づかされます。
空海の立体曼荼羅は気づきを与えるための、仏像と人の俯瞰視点の映像からなる、いわば一種の参加型プロジェクションマッピングといえるのではないでしょうか。
【参考文献】
東京国立博物館・編『特別展 国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅』(読売新聞社、2019年)
頼富本宏『日本の仏典2 空海』(筑摩書房、1988年)