早世した美男の貴公子・藤原義孝はベジタリアン!フナの膾に涙浮かべ……

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小倉百人一首・50番歌の作者として、また能書家の藤原行成の父として知られる藤原義孝。漫画『うた恋い。』でその歌が扱われたこともあり、人気の高い歌人です。

実はこの義孝、仏教への信仰心が深く、肉や魚を一切食べないベジタリアンだったとされています。およそ20年ばかりの短い人生でしたが、歴史物語『大鏡』や説話集『今昔物語集』からそんな一面を紹介しましょう。

容姿端麗な藤原義孝を『大鏡』も絶賛

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

小倉百人一首より

この小倉百人一首の和歌で知られる義孝。「貴女のためなら捨てても惜しくないと思っていた命ですが、(逢瀬を遂げた今となっては貴女と逢うために)少しでも長く生きたいと思うようになりました」という恋の歌。とてもロマンチックですよね。

実際の義孝がどんな人物だったかというと、『大鏡』に「御かたちいとめでたくおはし」と、容貌がとても美しい人であったと記述されています。

さらにこんな評価も。

この殿は、御かたちのありがたく、末の世にもさる人や出でおはしましがたからむとまでこそ見たまへしか。

『大鏡』地・「太政大臣伊尹 謙徳公」(校注・訳:橘健二・加藤静子『新編日本古典文学全集』/小学館)より

とにかく美しくて、末代までこんな方は表れないだろうと思われるくらいだ、という内容。

美人薄命とは言いますが、男性にも当てはまるのでしょうか、義孝は流行り病にかかりわずか20歳(数えでは21歳)の若さで亡くなりました。

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魚や鳥は絶対に口にしない

公務中に法華経を読誦するなど信心深い義孝は、香りの強い野菜や肉を一切絶っていたことでも有名です。

そのエピソードが『今昔物語集』にあります。

義孝ノ少将ハ、幼カリケル時ヨリ道心有テ、深ク仏法ヲ信ジテ、悪業ヲ不造ズ魚鳥ヲ不食ズ。

其ノ時ニ、殿上人数有テ、此ノ少将ヲ呼ケレバ、行タリケルニ、物食ヒ酒飲ナドシテ遊ケルニ、鮒ノ子膾ヲ備タリケレバ、義孝ノ少将此レヲ見テ、不食ズシテ云ク、「母ガ肉村ニ子ヲ敢タラムヲ食ハムコソ」ト云テ、目ニ涙ヲ浮ベテ立テ去ニケルヲ、人々此レヲ見テ、膾ノ味モ失テゾ有ケル。

『今昔物語集』巻第十五「義孝少々往生語第四十二」(校注・訳:馬淵和夫・国東文麿・稲垣泰一『新編日本古典文学全集』/小学館)より

殿上人の宴会の場に呼ばれた義孝は、出された膳の中にフナ肉のをフナの卵で和えた膾(なます)があるのを目にして、「母の肉に子を和えたものを食べるなんて……」と言って目に涙を浮かべながら立ち去ったというのです。

その場で飲み食いし盛り上がっていた人々も絶句……。膾の味も失せてしまったよ、というエピソード。

ふつうの人にとってはおいしい料理ですが、絶対に魚や鳥を食べなかった義孝にとって、むごたらしい光景に見えたのでしょう。生き物の殺生を嫌う義孝の信心深さがよくわかりますね。

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