行成、憧れの小野道風が夢に出てきて書法を授けられる!日記『権記』の記録から

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藤原行成小野道風といえばどちらも平安時代の有名な能書家で、三跡のうちのふたりですよね。もうひとりは藤原佐理ですが、今回は登場しません。

三跡は三筆より時代があとの能書家で、平安時代前期の終わりごろから中期にかけて活躍した三人で構成されています。

三跡は日本に唐代に流行した書法を持ち込んで隆盛させたことで、以後書道史上では神様のような存在になるのですが、この時代の空海橘逸勢嵯峨天皇に後世の行成が憧れるのはまあわかりますよね。けっこう時期も離れていますから。

空海 風信帖 真筆

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2018年9月30日

しかし、和様の完成者といわれる行成は同じ三跡の道風にも憧れていたのです。

行成の日記『権記』に夢の記録がある

行成の日記『権記』には、その日あった出来事、宮中のことなどのほか、極めて個人的な出来事も記録されています。

今回紹介したいのは、長保5年(1003年)11月25日の条です。この日は、以下のような内容が書かれていました。

此夜夢逢野道風、示云、可授書法、言談雑事、

藤原行成『権記』長保5年11月25日の条より

この日はいつもどおり内裏に出仕して東宮のもとに参り、弾正宮のところへも参ったという記述のあと、「この夜の夢の中で野道風(つまり小野道風)と逢った。『書法を授けよう』と言われ、雑談をした」と続きます。

思いがけず夢に道風を見て、しかも書法を授けてくれると言ったのだ、私は道風を話をしたのだ、と喜んだであろう様子がうかがえますよね。

行成にとって道風とは、まさにテレビ越しに見る憧れの芸能人のような存在だったのかもしれません。夢は願望のあらわれ、といいますが、きっと行成は道風に会いたい、会いたいと思っていたのでしょう。

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ふたりが生きた年代は重ならない

なぜそれほど憧れたのか、それは、同じ三跡として並び称されているとはいえ、行成が生まれたころにはすでに道風は亡くなっており、交流したことは一度もないからではないでしょうか。

道風は 寛平6年(894年)~康保3年(967年)

行成は天禄3年(972年)~万寿4年(1028年)

5年ほど間があります。かすりもしません。私たちにしてみれば同じ平安中期ごろの能書家ですが、行成にとっては過去の偉大な能書家に思えたのではないでしょうか。

『玉泉帖』(巻頭部分、三の丸尚蔵館蔵)

夢で授けられたという書法がどんなものかはわかりませんが、熱心に道風の書を学んでいた行成のこと、そこから導き出されたこたえを夢の中で得たのかもしれません。

「尊敬する人に逢ったんだ!」と自慢するようで、微笑ましい記録ですよね。古い時代の政治家の日記なんて堅苦しくてつまらない、と思うかもしれませんが、意外とこういうエピソードがちょこちょこあったりして。ちょっとずつ読み進めるのでも楽しめます。

参考文献

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