「三筆」と「三跡」の違いって?日本書道の礎を築いた能書家たち

空海 風信帖 真筆
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三筆三跡。国語の授業か歴史の授業で耳にしたことがあるのではないでしょうか。どちらも書の大家3人をいう言葉ですが、どっちがどっちやらよくわからない、なんていうことはありませんか?

三筆と三跡を、人物と書風の特徴を挙げながら簡単に紹介してみましょう。

三筆

三筆とは、平安時代初期の著名な能書家3名(空海嵯峨天皇橘逸勢)のことを指します。日本書道史上とくに優れた書家であり、日本書道の礎を築いた存在ともいえるでしょう。

この時代の書道の特徴というと、唐で流行した中国の書家(王羲之ら)の書風です。平安初期、日本は多くの人物を遣唐使として唐へ送り出しました。その中にいたのが空海・最澄といった僧や、橘逸勢のような貴族です。彼らが唐で流行していた晋唐の書風を学び、それを日本に持ち帰ったことで日本の貴族社会でも唐風の書が好まれました。

王義之 蘭亭序

王羲之『蘭亭序』(神龍半印本、部分)

三筆が書道史の中で重要と位置づけられているのは、唐風の書を好み倣ったからではありません。唐風の書を摂取し、それぞれが独自の書法を築き、日本風にしていったことが大きいでしょう。それが後の世に与えた影響ははかり知れません。

空海

「弘法大師」の名で知られる空海。真言宗の開祖ですが、「弘法筆を選ばず」や「弘法にも筆の誤り」など、書道にかかわることわざがあるほど書の分野でも有名ですよね。

空海の真筆(本人の筆跡)としてもっとも有名なのはこちらの『風信帖』でしょう。空海が最澄にあてた書状をまとめて、一通目の冒頭から『風信帖』の名がついています。

空海 風信帖 真筆

空海筆『風信帖』一通目

唐に渡った空海は韓方明という書家に師事して唐の書を学び、東晋の王羲之や唐代の顔真卿といった中国書道の大家の書の影響を受けました。空海は中国語が堪能であることでも唐の人々を驚かせたといいますが、書法でも在唐時から名声を得ていたといわれています。

篆隷楷行草だけでなく、飛白(刷毛でかすれたように書く書体)や梵書にも優れていました。空海を祖とする流派は大師流と呼ばれ、多くの人が空海の書に学びました。

 

嵯峨天皇

嵯峨天皇は桓武天皇の第二皇子で、漢詩・書に秀でていました。唐代の書家でも特に楷書の四大家のひとり、欧陽詢(おうようじゅん)に通じたようです。

こちらが欧陽詢筆の『九成宮醴泉銘』(きゅうせいきゅうれいせんのめい)です。

欧陽詢 九成宮醴泉銘

『九成宮醴泉銘』(部分) 欧陽詢筆

書道を習う人は必ずこの書を学ぶ、というほど有名な書ですね。楷書の模範となる書風です。

下の書は嵯峨天皇の宸翰(天皇の自筆)とされる『光定戒牒』(こうじょうかいちょう)です。欧陽詢の書と比べてみると、右のはらいが強いところなどがどことなく似ていませんか?

嵯峨天皇宸翰 光定戒牒 真筆

嵯峨天皇宸翰『光定戒牒』(国宝)

嵯峨天皇は漢詩・書と唐代の文化に通じていましたが、そのほか嵯峨御流(さがごりゅう)という華道の流派の開祖としても知られています。

 

橘逸勢

橘逸勢(たちばなのはやなり)は、804(延暦23)年に遣唐留学生として最澄や空海とともに唐へ渡りました。唐では「橘秀才」と呼ばれ、才人として認められました。書のほか文学にも秀でています。

橘逸勢の書として伝わるひとつが、下の『伊都内親王願文』です。しかし橘逸勢の筆であろう、と伝わっているのみ。現在では彼の真筆とされるものがほとんど残っていません。

伊都内親王願文 橘逸勢

『伊都内親王願文』 (部分)

逸勢の書は躍動感がありますね。

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三跡(三蹟)

続いては三跡(さんせき。三蹟とも)です。こちらも平安時代の優れた能書家3名(小野道風藤原佐理藤原行成)を指しています。もともとは三賢と呼ばれました。三筆はほぼ同時期に活躍しましたが、三跡はそれぞれの年齢に数十年の開きがあり、書が継承されていきました。

それぞれの書を野跡(やせき)・佐跡(させき)・権跡(ごんせき)と呼びます。(権は行成が権大納言であったことから)。

三筆は中国の書の流行を持ち帰り、独自の書風を開拓していきました。平安初期は遣唐使を送って唐の文化を盛んに取り入れていたこともあり、色濃く唐の流行が出ていますが、三跡が活躍した時代は遣唐使制度が廃止され、国風文化が花開いた時代。仮名が誕生したのちの書道です。彼らは和様書道の大家として知られます。そこが三筆との大きな違いといえるでしょう。

道風が和様書道の嚆矢として知られ、そこから佐理、行成へと継承されていきます。

小野道風

小野道風(おののみちかぜ/とうふう)は平安中期の貴族・能書家で、平安前期に活躍した小野篁(おののたかむら)の孫です。

道風は王羲之をよく学んでおり、同じく王羲之に通じた空海の書風をよく受け継いでいるといわれています。とくに行書に秀で、温雅で柔軟な作品が多く残されています。

下の書は、道風の真筆と伝わる『屏風土代』(びょうぶどだい)です。土代とは屏風に書く揮毫の下書きのことを言います。下書きとは思えないほどすばらしく、その書風は豊麗。

道風はそれまでの中国に倣ったの書風を脱し、漢字を和様にしていきました。なお、仮名の書については真筆はなく、伝承筆者としてのみ伝わっています。

 

藤原佐理

藤原佐理(ふじわらのすけまさ/さり)は、平安時代中期の公卿・能書家です。佐理は草書に優れ、作風は自由奔放で躍動感があります。

下の書は、佐理の真筆とされる『詩懐紙』(しかいし)です。懐紙は菓子を取り分ける際に使う紙として知られていますが、漢詩や和歌を書写する際にも使われました。

この『詩懐紙』には道風の作風の影響が見られます。佐理についても、真筆の仮名の書は伝わっていません。

藤原行成

藤原行成(ふじわらのゆきなり/こうぜい)は、平安中期の公卿・能書家です。一条天皇に仕え支えた四納言のひとりでもあります。

行成は王羲之の書風をよく学んだ道風の影響を色濃く受けており、知的で上品な書風が特徴。行成は日記『権記』「夢で道風に会い、書法を授けてもらった」と記しており、道風を書家として尊敬していたことがうかがえます。

行成、憧れの小野道風が夢に出てきて書法を授けられる!日記『権記』の記録から

2019年3月13日

行成の真筆として知られるのは『白氏詩巻』や『本能寺切』で、いずれも優雅な漢字体の書。残念ながら仮名の真筆は現存していないといわれています。

伝承として残る行成の仮名のひとつがこの『粘葉本和漢朗詠集』(でっちょうぼんわかんろうえいしゅう)です。

行成 粘葉本和漢朗詠集 真筆

『粘葉本和漢朗詠集』

行成は和様書道の完成者といわれ、彼を祖とする書道の流派・世尊寺流は宮廷や貴族の間で尊重されました。

 

中国の書道を取り入れた三筆・和様書道を確立した三跡

どっちがどっちだったっけ?と頭の中でごちゃ混ぜになってしまいそうな三筆と三跡ですが、どちらも日本書道史における大家がそろっています。それぞれの特徴の違いをおさえてみると覚えやすいかもしれません。

三跡は上代様(じょうだいよう。和様書と仮名書の総称)を完成させたともいわれていますが、3名とも仮名の真筆が伝わっていないのは残念です。

 

【参考文献】

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