百人一首第38番歌・右近「忘らるる……」愛した彼に神からの天罰を。複雑な女の恋心を表した一首

百人一首 藤原定家
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小倉百人一首は、天智天皇から順徳院までの100人の歌人についてそれぞれの1首ずつ歌を選んだ作品です。

撰者は藤原定家であるといわれていますが、成立の事情については未だに不明点が多く、解明されていません。

成立当初は、襖絵や屏風絵として狭い範囲の人たちに鑑賞されていた娯楽の1つでした。室町時代になるとポルトガルから「かるた」が伝来し、百人一首が題材に適用され多くの人に広まりました。

季節の歌とともに重要なのが恋の歌であるといわれています。百首のうち、恋歌は43首で、季節の歌(32首)をしのぐ数です。今回は、ちょっぴり切なくて女の恐ろしさを垣間見ることができる歌をご紹介します。

作者・右近について

忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな

「小倉百人一首」43番

この歌の詠み手は右近という女性です。平安初期の歌人で藤原季縄(すえただ)の妹(あるいは娘)であるといわれています。父ないしは兄の官位であった「右近」に由来し、本名は知られていません。右近は、10世紀後半に醍醐天皇の中宮穏子(おんし)に仕えました。

当時の女流歌人の多くは父親の官職や夫の任地にちなんだ名前で呼ばれており、本名が不明な人も少なくありません。

さて、右近が詠んだこの一首の背景にはどのようなエピソードがあるのでしょうか?

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右近が歌で表現した複雑な女心とは?

現代語訳すると「彼から忘れ去られてしまう私だけれど、そんなことはどうでもいい。でも、永遠の愛を誓ったのにそれを破ったあなたが神様のお怒りに触れ天罰が下ってしまう。私はそれが憎い」というニュアンスになります。

相手の男性と右近は「誓いてし」関係です。当時の「誓い」は神仏の前で契りをかわすということです。つまりこの恋は、カジュアルな男女の恋愛ではなく、固い約束をかわした男女の真剣な恋愛だったのです。

しかし、永遠の愛を誓ったにもかかわらず、右近は彼の思い入れを感じることができません。しびれを切らした右近は、歌で相手の男性へ天罰が下ればいいと自分の気持ちを表します。つまり、神仏に向かって彼の不誠実さを言いつけているようにも受け取ることができるのです。

一方、下の句では「人の命の惜しくもあるかな」とやわらかい表現にしています。自分を苦しめた男に天罰がくだればいいと願っているだけはなく、「惜しく」は「愛しく」とも言い換えることもできるのです。

天から貶められたらいいと思いながらも、忘れられない彼への愛しい恋心。今も昔も恋煩いの複雑な気持ちは変わらないものですね。

ちなみに、この歌の相手は43番歌作者の藤原敦忠という説があります。大和物語84段に右近の歌として同じものが登場していて、そのエピソードだけでは相手が誰かわからないものの、数段前には敦忠が恋の相手として登場しているのです。

美貌の持ち主で、和歌や管弦に秀でた敦忠。数多くの女流歌人と歌のやりとりをしており、女性関係は派手でしたから(右近もまた恋多き女性でしたが)、右近の歌の相手が敦忠だったとして、不実を嘆くのも無理はありません。

(文・小栢ユリ)

【参考文献】

校注・訳:片桐洋一、福井貞助、高橋正治、清水好子『新編日本古典文学全集12・竹取物語・伊勢物語・大和物語・平中物語』(小学館、1994年)

石井正巳『図説百人一首』(河出書房新社、2006年)

あんの秀子『人に話したくなる百人一首』(ポプラ社、2004年)

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