一年の半分が終わる6月30日(晦日)。この日は、半年分の穢れを落とす行事「夏越の祓え(なごしのはらえ)」が行なわれます。もとは古代(奈良時代)の律令制下で行なわれた「大祓(おおはらい)」が始まりであるといわれています。
現代の夏越の祓え
茅の輪くぐり
現代ではあまり馴染みのない行事ですが、今でも神社などでは夏越の祓えが行事として行なわれています。
たとえば、毎年神社で6月に行われる茅の輪くぐり。無病息災を願って行なわれる儀式ですが、これも夏越の祓えの儀式のひとつです。
水無月
水無月とは旧暦6月の名前ですが、京都では同じ名前の和菓子が夏越の祓えの時期に食べられます。ういろうの上にあずきがのったお菓子で、こんなふうに三角に切って食べます。夏の時期のお菓子らしく、見た目も涼やかですよね。
あずきは邪気を払う意味があり、三角のういろうは暑気払いの氷を表現しているのです。
人形を流す・牛馬に水浴
そのほか、人形(人の形を模した紙の形代)で身体を撫でて穢れを払い神社に納めたり、川に流したりする風習もあります。
地域によってさまざまで、中国地方などでは牛馬を水浴させる、という風習もあります。
物語や和歌から平安の夏越の祓えを知る
では平安時代はどのような行事が行なわれていたのでしょうか?
宮中行事としては、平安時代には朱雀門で祝詞をあげる行事が行なわれていたようです。もともとは6月晦日と大晦日の年2回行なわれていましたが、12月の行事は廃れて6月だけになったのだとか。
ちなみに、宮中行事としての大祓は室町時代の応仁の乱の混乱で中絶しますが、民間にも広まって行事として盛んに行なわれるようになりました。
それでは、平安時代に書かれた物語や和歌をみていきましょう。
禊ぎの儀式
まずは日本のシンデレラといわれる『落窪物語』から。
六月、祓したり。
みそぎする川瀬の底の清ければ千歳の影をうつしてぞ見る
『落窪物語』巻之三「七十賀の屏風歌のこと」(校注・訳:三谷栄一・三谷邦明『新編日本古典文学全集』/小学館)より
六月は祓(夏越の祓え)の行事。この歌は、「夏越の祓えをする川の瀬の底がとても澄んでいるので、あなたが千年の長寿を保つ様子を水面に映して見る」とあります。
続いて、『新古今和歌集』から。
みそぎする川の瀬見ればからころも日も夕暮に波ぞ立ちける(紀貫之)
『新古今和歌集』巻第三 夏歌(校注・峯村文人『新編日本古典文学全集』/小学館)より
平安前期の歌人・紀貫之の歌で、「みそぎをする川の瀬を見ると……」という内容。この「みそぎ」というのが夏越の祓えの神事です。『新古今集』ではとくに題などはありませんが、同じ歌が『貫之集』にあり、そちらでは「水無月祓」という題がついています。
水辺に出て身体を清める、これは現代でも一部地域で行なわれていますが、すでにこのころにはあった習わしであることがわかります。貴族の間ではこの季節の行事として一般的で、和歌にも多く詠まれています。
「氷の節句」と水無月のかかわり
最後に、夏越の祓えになぜ水無月を食べるのかを紹介しておきましょう。平安時代にできた食べ物ではありませんが……
昔は冷蔵庫はもとより冷凍庫なんてありませんでしたから、氷は貴重なものでした。一般庶民が手に入れられるものではなく、貴族にとっても高価なものだったのです。
旧暦6月1日、現在の暦ではだいたい7月の初旬にあたりますが、この日は「氷の節句」と呼ばれたようです。室町時代の宮中では本格的な夏が到来する時期に冬の間貯蔵しておいた氷を取り寄せ、暑さをしのいだのです。
当然、庶民には氷を口にするなんてぜいたくなことはできないので、氷を模したお菓子を食べて暑気を払ったのです。水無月が三角なのも、角ばった氷を表現したものだったのです。
【参考文献】
・『日本国語大辞典』/小学館