平安時代に成立した物語の中で、とくに「型にはまった生き方をしない女性」として描かれている作品といえば『とりかへばや物語』を思い浮かべます。
男女きょうだいがそれぞれ「男らしい活発な女君」と「女らしい控えめな男君」という性格であり、それに合わせて性を入れ換えて生きるという物語です。
その『とりかへばや物語』の女君は、「深窓の姫君」という当時の貴族の姫君のテンプレともいうべき固定観念を打ち破り、男として政治の場でもバリバリ働いた女性でした。最後には女姿にもどって天皇の母となりますが、この女君の生き方はまるで現代に生きる女性のようであり、読者に強烈なインパクトを与えます。
ところで、同時代に成立した物語の中に、同じように我が道を進む女性の物語があることをご存知でしょうか。
それが『堤中納言物語』のうちの一編『虫めづる姫君』です。
『虫めづる姫君』とは
『虫めづる姫君』は、平安後期に成立したとされる作者未詳の短編物語集『堤中納言物語』のうちの一編です。
裳着(今でいう成人)を済ませた美しい姫君でありながら、お歯黒などの化粧もせず、眉毛もぼさぼさではやしっぱなし、女性がたしなむ仮名を書こうともせず、ただ虫を愛するという風変わりな姫の物語です。藤原宗輔の娘をモデルとしているという説もあります。
ふつうの人は怖がる虫を愛でる
按察使の大納言の姫君は、世間の人々がもてはやすような蝶には見向きもしません。
「人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」(校注・訳:三谷栄一・三谷邦明『新編日本古典文学全集』/小学館)より
「人間たるものは、誠実な心があって物の本体を追求してこそ心映えもゆかしいというものだ」という姫は、いろんな恐ろしい虫を採集しては籠の中に入れて観察するような人物です。ただきれいなものをきれいだと愛でるのではなく、本質を知ろうとする論理的な思考の持ち主であることがわかります。
自然体で生きる姫君
恐ろしい虫を愛する姫君は、自身の身なりにも世間一般とは異なる価値観を持っています。
眉については、
「人はすべて、つくろふところあるはわろし」
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」(校注・訳:三谷栄一・三谷邦明『新編日本古典文学全集』/小学館)より
と「自然のままがよいのだ」といって抜くことをせず、
お歯黒については、
「さらにうるさし、きたなし」
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」(校注・訳:三谷栄一・三谷邦明『新編日本古典文学全集』/小学館)より
と「煩雑で不潔だ」とつけることを嫌います。
現代的な価値観では眉を全部抜くこともお歯黒をつけることも奇異に見えますが、当時はぼさぼさの眉で白い歯を見せて笑うことこそ女性としてあってはならないことでした。
姫君の生き方は、邸の女房達も気味悪がって陰口をたたく始末。毛虫なんかを愛でる姫をからかって陰口をいう女房達に、ある老女がこういいます。
「ただ、それが蛻くるぞかし。そのほどをたづねてしたまふぞかし。それこそ心深けれ」
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」(校注・訳:三谷栄一・三谷邦明『新編日本古典文学全集』/小学館)より
「姫君がいうことは、毛虫が脱皮して蝶になるということ。毛虫を愛するのはその過程を調べているから。この探求心こそ考え深いものです」と。
ここにもまた姫君の性格や賢さが見えます。姫君が虫を愛でるのは自然の成り立ちを知りたいという探求心であり、また姫君が化粧をしないのも「自然ではない、不潔だ」という理由があるからなのです。
こんな姫君の噂を聞きつけたある右馬佐が「どれ蛇でも恐れないか試してみよう」と偽物の蛇を贈りつけるのですが、それでも動じない姫君に驚きます。そんな右馬佐が垣間見た姫君の描写が印象的です。
眉いと黒く、はなばなとあざやかに、涼しげに見えたり。口つきも愛敬づきて、清げなれど、歯黒めつけねば、いと世づかず。「化粧したらば、清げにはありぬべし。心憂くもあるかな」とおぼゆ。
かくまでやつしたれど、見にくくなどはあらで、いと、さまことに、あざやかにけだかく、はれやかなるさまぞあたらしき。
『堤中納言物語』「虫めづる姫君」(校注・訳:三谷栄一・三谷邦明『新編日本古典文学全集』/小学館)より
右馬佐の心内描写と地の文に見られる姫君の容貌は、眉は黒くてお歯黒をしていないのは色気がないけれど、鮮やかで涼しげに見える。「化粧をしたらきっときれいだろうに」と惜しんでいます。自然体であっても姫君には気品があり、決して醜くはない。ちょっと惜しいとこはあっても、姫君には欠点がないのです。
すっきりとした自然体の美しさであることが、すでにこの時代の物語でそう描かれているということが、とても印象的な物語です。作者は未詳ですが、「こういった美しさもある」と、世間一般とは違う価値観を認める人物であったのでしょうか。
同調圧力に屈しない生き方
この虫めづる姫君が人とは違った行動をとる、気味の悪い虫を愛でるというのは、単に虫が好きで変態だ、というよりも、結婚を拒否するための行動ともとれます。
『竹取物語』のかぐや姫をはじめ、『源氏物語』の空蝉、大君など結婚を拒否する女性の型は平安時代の物語のひとつの型としてあります。この『虫めづる姫君』もその一人に位置付けることができるでしょう。
「結婚が嫌だ」と思うのはたとえ普通の姫君であっても抱く感情かもしれませんが、この姫君の智恵・策略には驚きますよね。作中に描かれる姫君の姿だけでも論理的な思考力を持った聡明な女性であることがよくわかります。
よく「変態的」とも称される姫君ですが、彼女の生き方はまさに「同調圧力に屈しない生き方」ではないでしょうか。
家父長制のように、日本には古くからの凝り固まった考え方が現代でも残っています。「女はしとやかに」「母はやさしいもの」「男は泣かない」こういう考え方もそうですよね。近年ではとくにこういった古い考え方をとっぱらおうという動きがありますが、それでもまだ凝り固まった部分はあります。
さらに追い打ちをかけるのが「同調圧力」。小学生のころから「全員が同じことをする」ようにしつけられてきた日本人は特にこの傾向が強いように思います。大抵の人は「長い物には巻かれろ」精神で同調圧力に屈してしまいがちなのですが、「虫めづる姫君」はそうではなかった。自分自身の確固たる価値観をもち、その考え方のもとに生きる、未来を生きるカッコイイ女性だったのです。
ちなみに、虫めづる姫君はジブリの『風の谷のナウシカ』の主人公のモデルにもなっているんだそう。現代でも、現代だからこそ注目に値するヒロインといえるでしょう。