『大鏡』と『栄花物語』は、どちらも平安時代の歴史を記した歴史物語です。『大鏡』は文徳天皇から後一条天皇までの14代176年間を、『栄花物語』は宇多天皇から堀河天皇までのおよそ15代200年の歴史を記しており、それぞれ起点と終点となる時代に多少のずれはあるものの、かぶっている時代のほうが多いのです。
しかしそれでも、読んだときの印象は異なります。その違いがどこからくるのかを簡単に解説してみましょう。
編年体と紀伝体
『大鏡』は紀伝体で、『栄花物語』は編年体で書かれています。これは紀伝体=『古事記』、編年体=『日本書紀』と、偶然かどうかはわかりませんが、古代の歴史書と同じように書き方が分かれているんです。
では、編年体と紀伝体は何が違ってくるかというと、
- 編年体は時系列に並べて起こった出来事を語る
- 紀伝体は時系列に並んでいるものの、人物のエピソードを語る
という感じ。
つまり、編年体は「誰が何をしたか」というより、「このとき何が起こったか」を綴るスタイルで、紀伝体は「○○さんは何々をして~、こういう政治を行った」とこんなふうに人物をピックアップして記述するスタイルです。
例えば中国の歴史書の『史記』なんかは代々の皇帝の歴史を書いた本で、紀伝体をとっています。
何を中心に書こうとするかによっても内容は異なりますが、紀伝体をとるか編年体をとるかによっても内容に違いが出ます。
簡単にいうと、その時代何が起こったかをつぶさに知りたいのであれば編年体が適していて、大事だと思う人物についてざっくりと知りたいのであれば紀伝体が適しているのです。
筆者が両方を読んで感じたのは、『大鏡』は代々の天皇と藤原氏の歴史を描いた歴史物語で、どことなく教科書っぽい印象があるということ。対して『栄花物語』は歴史の中心人物である天皇や主だった男性貴族のエピソードに埋もれてしまいがちな後宮の女性たち、貴族の妻女たちにもスポットが当てられている。「そのときこういうエピソードもあって……」とこんな感じで、堅苦しい教科書よりちょっと面白い資料集的な存在。つまり、紀伝体の『大鏡』の隙間が埋められているのが『栄花物語』なのです。
例えで説明しましたが、もちろん『大鏡』それ自体が物語なのでとても面白い読み物です。もともと正史ではなく、人物のエピソード集的立ち位置ですから。
紀伝体だから、編年体だからどちらがいいとは言いにくいですが、片方に書いてあって片方に書いてないということも多いので、両方を参照しつつ読み進めてみるのもおすすめです。
執筆の意図は
違いは別のところにも。歴史物語をまとめるにあたって、どういう意図があったのか。そこにも違いは見えます。
『大鏡』は道長の栄華を中心に
大鏡はまず代々の天皇伝から始まりますが、天皇について語り終わると藤原氏の大臣列伝に移ります。それも、藤原南家がトップに君臨していた時代にそれを逆転した藤原北家の繁栄の祖といえる藤原冬嗣から始まるのです。藤原氏はいくつかの家に分かれますが、そのうちの北家を中心に取り上げる意図、それはあとあと登場する道長の栄華を語るためにあるというわけです。
作者が誰であるかはよくわかっていませんが、藤原氏の、それも道長を中心に描く意図があったことは間違いないと考えられています。
『栄花物語』は六国史に続く歴史書として
『栄花物語』は宇多天皇の時代から始まります。これが意味するのは、この作品を「六国史」に連なる歴史書として意識していたらしいということです。
「六国史」とは、『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』までの六つの歴史書の総称です。どれも編年体で書かれた歴史書で、最後の『日本三代実録』は清和天皇・陽成天皇・光孝天皇の三代の歴史をまとめた歴史書です。
そのあとに続く天皇といえば、光孝天皇の子である宇多天皇です。
もちろん位置づけとしては「六国史」とは別のものですが、ある程度意識はしていたでしょう。
『栄花物語』は『大鏡』同様に道長の栄華を描くという側面もあり、天皇の歴史は村上天皇のころから詳細になっていきます。
作者の環境の違い
もうひとつ、描き方の違いに何が関係しているかというと、作者の置かれていた環境も関わっていると思われます。
『大鏡』は男性作者?
作者不詳ではあるのですが、この人が作者かも?という人物は何人もいます。摂関家に近い縁者だとか、村上源氏の官人だとか。
複数の候補がいますが、注目したいのは全員男性だということ。『大鏡』は仮名文字で書かれた物語(物語はだいたい女性が書くものとされる)ですが、問答体の内容がすぐれていることや、歴史にかなり精通していると思われることから、男性官人と見るのが主流だそう。
作者が男性だとしたら、『大鏡』がほぼ男性のエピソードで占められているのも頷けます。
『栄花物語』の作者は赤染衛門ほか
『栄花物語』の作者はかなりはっきりとわかっており、赤染衛門とされています。赤染衛門は紫式部と同じころに中宮彰子に仕えた女房でした。紫式部よりはちょっと先輩にあたります。
『栄花物語』の正編にあたる巻30までが赤染衛門、それ以降の続編10巻は周防内侍などの女房が書いたのでは?と言われています。
続編10巻は赤染衛門が亡くなったあとの堀河朝まで書かれているので、続編は赤染衛門の跡を受け継ぐ形で誰かが書いたのだと考えられます。
いずれにせよ、『栄花物語』の作者は後宮や天皇に仕えた女房です。赤染衛門の主人は中宮彰子ですが、雇い主はその父の道長です。『栄花物語』が道長の栄華を中心に展開したのは、主家の栄華を書いて歴史書として残すという意図もあったのでしょう。
また、『大鏡』とは異なり後宮の后らにも焦点があてられたのは、当時実際に後宮にいて、何が起こっていたのかを見聞きしていた赤染衛門だからこそできることだったのかもしれません。
男性官人でも後宮に出入りすることは禁止されていないので、うわさを聞いたり直接話したりする機会はあったでしょうが、そこで働いていた女房ほどではないでしょう。
何を知りたいかで使い分けてみて
『大鏡』や『栄花物語』を読む、というと、何か調べ物がある場合が多いのではないでしょうか。単純に読み物としても楽しめますが、歴史物語なので「この人のこういうエピソードについて参照したい」ということが多いと思います。
どちらにも載っていることが多いのですが、用途によって使い分けるのがおすすめです。
紀伝体をとっている『大鏡』は、巻6までしかありません。『新編日本古典文学全集』などの注釈書は1冊にまとまっているのがほとんど。対して『栄花物語』は全40巻。『新編日本古典文学全集』では3冊にもなるのです。
数字でわかるように、圧倒的に『栄花物語』のほうが内容が多いのです。歴史をじっくりことこまかく調べるなら『栄花物語』がいいでしょう。
反対に、ちょっと大臣列伝のうちのひとりについて知りたい、くらいなら『大鏡』がいいでしょう。