清少納言は公任や斉信たちとも積極的に交流した女房で、女性でありながら男性と漢詩の知識で渡り合うなど、かなり目立つ女性だったことは間違いないでしょう。
清少納言が外交的で明るい性格だったらしいことは『枕草子』のさまざまな段からうかがい知ることができます。
定子サロンに属していた清少納言を筆頭に、女房たちがどんなに華やかに楽しく過ごていたか、『枕草子』の「五月の御精進のほど」の段から紹介しましょう。
暇だからほととぎすの声を聞きに行こう!
ある五月の、定子が職の御曹司にいたときのこと。五月の天気は曇りだったり雨だったりでおもしろくもなく、清少納言は「そうだ、郭公(ほととぎす)の声を聞きに行こう!」と言い出します。
平安の人々にとってほととぎすとは?
鳥の声を聞きに行く。「見に行く」ではないのを妙だと思うかもしれませんが、当時の人々にとってほととぎすとは「声を聞く」ものでした。初夏から夏の終わりにかけての風物詩で、夏の歌としてよく詠まれます。
今私たちが「ほととぎすってどんな鳥?」と言われてもなかなか姿かたちを思い浮かべられないように、当時の人々もほととぎすの姿を目にする、ということはなかったようです。
見た目は華やかではありません。しかし声は特徴的で、平安の人々はほととぎすの声を聞くと夏の訪れを感じたそうですよ。
明順の朝臣の家でほととぎすの声を聞くも
清少納言の思い付きの発言に、ほかの女房達も食いつきます。そこで、数人で連れ立って出かけることに。
目的地は明順(あきのぶ)の朝臣の家。田舎風のこざっぱりとした家で、明順は「たまにはこういうのもいいでしょう」といって農家の娘たちを呼んで稲こきなどをさせて見せてくれます。めったに見ることもない稲こきを見て女房達はキャーキャー騒ぎます。
この間、清少納言は、
郭公の歌よまむとしつる、まぎれぬ。
『枕草子』「五月の御精進のほど」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より
と、ほととぎすの歌を詠むという本来の目的を忘れかけています……。それはこの後も同じで、出された食事の下蕨に騒いでいるうちに雨が降りそうになり、帰ることになります。
さてこお歌は、ここにてこそよまめ
『枕草子』「五月の御精進のほど」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より
女房のひとりが「ほととぎすの歌はここで詠みましょうよ」と言うのですが、清少納言は「それもそうだけど、道中でも詠めるでしょう」といって牛車に乗り込みます。
今回外に出かけることができたのも、定子の名代としてほととぎすの歌を詠むという名目があったから……なのですが、楽しいことにかまけて後回しにしてしまうところは、まるで少女のよう。
定子サロンはなんとなく、女子高生集団っぽさがあります。
卯の花で牛車を飾って見せびらかす女房達
車に乗り込んだ女房たちは、卯の花が見事に咲いているから、といってそれを手折って車の簾や脇に挿し、飾り付けてしまいます。
卯の花、正確にはウツギの花ですが、これも5月から7月の初夏の風物詩です。
花の垣根を牛にかけたように牛車を飾り立てたのに、道では誰とも行き交わない。また「つまらない」と思った清少納言は、
「いとかくてやまむは。この車のありさまぞ、人に語らせてこそやまめ」とて、一条殿のほどにとどめて、「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰る」と言はせたる(後略)
『枕草子』「五月の御精進のほど」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より
このまま終わるのももったいないから、誰かに見せつけて語り草にしてやろう、清少納言はそう考え、侍従殿(藤原公信)に「今ほととぎすの声を聞いて帰るところなんですけど」とわざわざ使いをやったのです。
公信は自宅でくつろいでいたのですが、これを聞いて急いで準備。公信が来ると聞いた清少納言は「待ってるほどのことでもないでしょう」と先に車を走らせてしまいます。
追いかけてきた公信、大笑い
公信は帯を結びつつ表れ、「しばし、しばし」といって追いかけてきます。供を連れて走って追ってくるのを、清少納言一行は「とくやれ」ともっと急がせて土御門へ。
ハアハアと走って追ってくる公信を面白がる清少納言。小学生男子のようですね。
追いついた公信は、車の様子をみて大笑い。清少納言は人に見せびらかすことができてご満悦です。
すっかり歌を詠むのを忘れて……
大路で追いかけっこをひとしきり楽しみ、デコった牛車を見せびらかして満足した清少納言でしたが、大切なことを忘れています。
ほととぎすの歌を詠むこと……。
雨が本降りになって定子様のもとへ帰った女房たち。侍従が大路を走ったくだりまで話してみんなで大笑い。しかし定子様は見逃しません。
「さていづら、歌は」
『枕草子』「五月の御精進のほど」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より
「それはそうとあなたたち、歌はどうしたの?」と聞くわけです。まだ詠んでいないことを知られると、定子様は「なんでその場で詠まなかったの、さっさと詠んでしまえばよかったのに。さあ、ここででも詠みなさい。仕方がないこと」と呆れ気味……。
実は歌を詠みたくない清少納言
さっさと詠みなさいとせかされる清少納言。実はあまり詠みたくないのです。
「宰相の君、あなたが書きなさい」
「いやいや清少納言、やっぱりあなたが…」
などと嫌な役目を譲り合いをしている間に雷雨がひどくなり、歌のこともすっかり忘れてしまいます。
花より団子
数日後にこの日の話題が出ると、宰相の君が「明順の朝臣が手ずから折った下蕨の味はどうでした」と言うのを定子様が聞き、「思い出すことといったら食べ物のことなの」と笑います。
下蕨こそ恋しかりけれ
『枕草子』「五月の御精進のほど」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より
そして下の句を書き、「これに上の句をつけなさい」と言います。清少納言はこれに
郭公たづねて聞きし声よりも
『枕草子』「五月の御精進のほど」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より
と上の句をつけました。「ほととぎすを尋ねていって聞いた声よりも下蕨の味が恋しい」。鳥ではありますが、まさに「花より団子」です(笑)
はしゃいだ後にとんだ宿題が
暇をしていたところに外出をして、女房たちと大騒ぎしてはしゃいだ清少納言。本来の目的も後回しにして少女のように楽しみましたが、主人の定子様はそれでは示しがつかないと許してくれないのでした(笑)
実は清少納言、有名な歌人の清原元輔を父に持ちながら、歌は苦手なのです。
言い出しっぺが歌も詠まずに帰ってきて、はしゃいだ後には定子様の「詠みなさい、詠みなさい」攻撃。これには困った清少納言でした……。
中宮の女房といっても、スンと取り澄ましているわけでなく、時々女子高生のようにきゃあきゃあ騒いだりする。それが定子サロンの魅力のひとつでしょう。
このころ、清少納言はもう10代の少女ではないのですが……。いつまでも若く、楽しいことは楽しむ。それがあの『枕草子』に見られるような感性を磨く秘訣なのかもしれません。